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ブルーインパルス事故|浜松で墜落しパイロットが殉職1982年

ブルーインパルスがラグビーワールドカップの会場である東京・味の素スタジアムで19日17時過ぎ頃、スタジアム上空に航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」が20日の開幕戦の本番に備えて事前訓練をしましたが、過去には残念なことに事故も起きています。

どんな事故だったのでしょうか。

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ブルーインパルスが浜松基地での展示飛行中での事故

この事故は静岡県浜松市の浜松基地で開催されていた航空祭で起こりました。

時は1982年11月14日

ブルーインパルスが「下向き空中開花」をしていた時に異常が起こりました。

4番機が上昇するタイミングに遅れ、そのまま基地からおよそ500メートル離れた民家の空き地に墜落し炎上しました。

当時の事故の瞬間の動画がツイッターでもアップされていました。

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ブルーインパルスのパイロット1名が殉職

この墜落現場では、民家一棟が全焼し、さらに自動車修理工場も数百台の車が被害を受けました。

人的被害は住民の方々が12名やけどなどの重軽傷を負いました。

そして4番機のパイロットであった高島一尉が殉職しました。

このとき報道で解説されていたのですが、元々の軌道ルートのまま墜落していたと仮定すると、住宅地や東名高速道路に墜落した可能性があったそうです。

高島一尉は、とっさの判断で被害が最小限の場所を選んだのではないかと言われています。

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ブルーインパルス事故後はどうなった?

事故の原因は編隊長の指示が0.4秒遅れたためと言われていますが、この事故で報道では「危険な曲芸飛行」などと揶揄され、ブルーインパルスも活動を自粛することとなりました。

たしかに住民もふあんになるでしょうし、仕方ないことだったのでしょう。

その後、航空自衛隊では安全対策におもむき、1984年の7月から松島基地航空祭でブルーインパルスの活動が再開されました。

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