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石田純一の演技力は俳優としてどのくらいのレベルなのか?

石田純一さんと言えばずいぶん前ですが「不倫は文化」発言で注目を浴びたり、最近では中途半端な政治活動も話題になりましたが、トレンディ俳優でもあります。

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石田純一はトレンディ俳優だった

また三度の結婚とそれぞれの妻との間の子供の話題など、若い方々から見たら俳優としてというよりは話題の多いタレントさんという印象が強いのではないかと思います。

しかし、石田純一さんはバブル期のテレビドラマには引っ張りだこだったトレンディドラマの俳優さんでした。

そんな石田さんですが、最近はめっきり俳優としての姿を見ることがなくなりました。

そこで今回は石田さんの当時の演技力は果たしてどうだったか?を振り返ってみたいと思います。

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若いころの石田純一は実は演出家志望

石田純一さんは20歳のときに早稲田大学在学中に学生結婚をされています。

そのときに生まれた子供がいしだ壱成さん。

このころの石田さんは俳優になりたかったようですが、NHKアナウンサーだった父・武さんから「子どものために安定した仕事を見つけろ」と怒られていたそうです。

石田さんは大学在学当時、演出家になることを考えていたようで、妻と子供(いしだ壱成さん)を日本に置いて単身アメリカに渡ります。

しかし、家族で一緒に暮らすことが一度もないままアメリカ滞在中に離婚。

帰国して早稲田大学も中退してしまいます。

そして1978年、24歳のとき「演劇集団 円」の演劇研究所の研究生となります。

1979年、25歳のときにNHKドラマ『あめりか物語』(日系三世のタイ人の店員役)で正式にデビューします。

演劇集団に所属してわずか1年でデビューということで、下積み期間はそんなに長くはなかったようですね。

NHKのドラマということで、お父様のお力もあったのでは・・・と勝手に思ってしまいますが。

それからいろいろなドラマで役をもらいますが、今一つパッとしなかったようです。

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トレンディドラマに出演してブレイク!

1984年、石田さん30歳のときに今の石田純一さんらしい才能が開花します。

昼ドラ「夢追い旅行」で準主役で出演してその名が知られると、31歳から35歳の1985年から1989年の間にはクイズ番組「TVプレイバック」のレギュラー解答者として抜擢され、その甘いルックスと萩本欽一やザ・ドリフターズのメンバーにも臆することのない軽快な話術が視聴者に受け、一気に石田純一さんの知名度が上がりました。

また、1987年にはテレビ朝日の音楽番組「オリジナルコンサート」の司会を任されたりもしました。

そして1988年、石田さん34歳のとき、ドラマ「抱きしめたい!」に出演したことから、その後数多くのいわゆる「トレンディドラマ」に出演し、バブル期を代表する俳優さんとして活躍されました。

石田純一さん自身の発言で芸能界を干された状態に

しかし、バブルが崩壊してからトレンディドラマのの終焉を迎え、そのころの石田さんは俳優としてというよりもスキャンダルの方で目立つ存在となりました。

1988年、34歳のときに女優の松原千明さんと再婚し、今はモデルで活躍中のすみれさんという娘を授かりました。

が、バブル期の人気を引きずったままの石田さんはファッションモデルの長谷川理恵さんとの不倫交際を8年も続けていることが報道され、彼自身もそれを認めて、マスコミには川島なお美さんの言葉を引用して「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」と発言し、その言葉をマスコミも拡大解釈して石田さんは「不倫は文化」と言い放った!と報道し、世間からバッシングを受けて干された状態となりました。

石田純一さん自身も語っていますが、このときまでは年収3億円だったのが謝金8000万円まで落ち込んだようです。

芸能界において、その発言や言葉の恐ろしさといったら想像を絶するなと思いますね。

今はTwitterやFacebookなどSNSが普及しただけに、簡単に個人の発言が全国的に拡がります。

それによって得るもの、失うものがこんなに極端に影響を受けるのかと思うと、うっかり変なことを発言できないですね。

その後の石田さんはドラマや映画に出演するも、東尾理子さんと再婚するまではそんなに話題になることはありませんでした。

俳優としての演技力は今一つ

同じ俳優として、なぜか以前から比較される奥田瑛二さんとのちがいは何なのかを考えてみました。

俳優歴としても年齢としても石田純一さんより長い奥田瑛二さん。

しかし、石田純一さんは奥田瑛二さんとなぜか昔から比較対象とされていることがよくありました。

奥田瑛二さんはトレンディドラマへの出演もありますが、完全な叩き上げの演技派俳優さんです。

俳優の故・天知茂さんを慕い、約2年ほど付き人も務めました。

俳優業とは別のスナックのウェイターなどの仕事をしながら1979年、日活の「もっとしなやかに、もっとしたたかに」でようやく俳優としての実力を認められて役者として大成してきた本物の叩き上げの俳優さんです。

それだけに、主役をすることはあまりないですが、脇役としての存在感やその演技力といった面では石田純一さんとは差が大きいのは明白です。

その演技力の差を図るのにわかりやすいのは、俳優としての演技に対しての受賞経験です。

奥田瑛二さんは俳優として主演男優賞や演技賞・監督賞を7つ受賞してきていますが、石田純一さんは俳優として評価される受賞経験は残念ながら一度もありません。

石田純一さんが映画出演が少ないから受賞経験がないというわけでもありません。

wikiで検索してみたんですが、お二人とも出演作品の数に関しては映画もテレビドラマもそんなに大きくちがいはありませんでした。

完全に演技力の差と見るのが妥当なところだと思います。

演技などに関して完全素人の私から見ても、やはりその演技の実力差は観て取れます。

石田純一さんの魅力は人を惹きつける人の良さ

ただ、石田純一さんはやはりバラエティーでのトークやその他過去に司会なども務めてきた経歴もあり、人を惹きつけるモノを十分に持っているキャラクターの方ですよね。

そしてなんといっても人の良さがにじみでています。

たしかに一時期、トレンディ俳優としての脚光は浴びましたが、実はそのキャラクター自体が石田純一さんの良いところであり、優れた才能なのではないかと思いました。

残念ながら素人からみても演技力という面では今ひとつだったのは否めません。

バブル期というマジックとそのときに訪れたトレンディドラマブームに上手くマッチしたという点では、石田さんの強運さにも目を見張るものがありますね。

現在、もう還暦を過ぎられた石田さんですが、これからも俳優としての石田純一さんにこだわることなく、いろんなキャラクターを持った素敵なタレントさんとして家族を大切にしながら活躍していただきたいなと思いました。

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